中高年の起業&ホームページ作成サポート

田中まど香

Madoka Tanaka

中高年の「経験×個性」を武器にする
ミドルエイジの「やりたい!」を叶える
自分のホームページが4ケ月で完成

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・ホームページ作成講座
・中高年の起業サポート
・メンタルサポート
・スマホ、パソコン教室
・HP保守管理、更新

自己紹介

はじめまして、ホームページをご覧頂き頂きありがとうございます!中高年の起業とホームページ作成に特化したサポートをしております、田中まど香です。

昔から調べる事が大好きで、パソコンの便利さと好きなことで、こうしてホームページ作成のお仕事ができる事はとても幸せなことです。この世に1つでも多くのホームページや中高年の起業家が誕生する事を心から願っております


ここで質問です、皆さんはご自身の性格をきちんと把握していますか?私の場合「やりたい!」と思ったらあれこれ考えずすぐ行動する性格です。怖い不安そして想定外など考えず手を付けます。失敗はむしろ、いい経験と知識が増えたとプラスに捉える単純な性格。が、起業してからそれが裏目に。

そこで私の経験談をひとつ・・・


自分の性格に反して「お金優先>自分のやりたい事」で起業した過去がありました。選んだ職種は別に好きではなく「私にもできそう。稼げそう」で決めたので次第に心がつまらないと感じる毎日。

そもそも熱い思いもなく始めたので、SNSも苦痛で気持ちが入らない、お金を頂いても余り感動しない。しまいには高額払ってビジネスコンサルを申し込んだけど大した結果も出ず高い勉強代に(反省・・・)

で、ようやく気付いたんです。こんな事をずっと続けてたら残りの人生後悔する!「自分のやりたいこと>お金優先」これが私の本来の性格なんだって。そう思い、それまでの事を一切やめ方向転換したの事が人生の分岐点となります。

自分の「好きや得意を仕事にする」これは長く続ける上で本当に重要で、同時に自分の心が疲弊せず楽しい。不思議と、自然に後からお金がついてくる事ってこう言う事か、と実感しました。

ちなみに、私の好きや得意な「パソコン作業、人を助ける、心を支える、背中を押す、人と出会う」の結果が、今の仕事です!

仕事や時間振り回され、がむしゃらにお金ばかり追う人生じゃなく、自分の持ってるスキルをお互い提供したり、誰かを紹介してご縁を繋いだり、そこから「ありがとう」のお金が巡ってくる。私の仕事のスタンスはこれにつきます!

 

3つの大きな出来事

ここからは、私がなぜ「人を助けたい」「損得関係なく」「皆が後悔ない人生」「元気や愛を与える」ことを人より強く思うのか、そのお話をしましょう。それは今まで通って来た3つの大きな出来事+アルファーが関係しています。

1つ目の出来事

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: denys-nevozhai-z0nVqfrOqWA-unsplash-1024x683.jpg一番最初に襲った不幸は、主人の事故と出産が重なった出来事ですそれまで元気だった主人が交通事故で意識不明に。助かっても植物状態の可能性も大きいと言われ変わり果てた主人の姿を集中治療室で見た時は号泣し、臨月だった私を病院のスタッフ方が気遣い心配してくれた事は今も忘れません

夫がそんな状況の中ほぼ予定日に長男が生まれ、糸が張り詰め苦しい時間だった我が家にとって息子は希望と幸せの誕生でした。その後主人の意識は戻ったものの自分が何歳か分からない、ここがどこだかわからない、しかも結婚したことすら覚えてない・・・夫は記憶喪失で記憶の半分が失われていたのです。結婚式や思い出の写真やビデオを見せても全く思い出せず、そんな人がその後どうやって生活したと思いますか?

その答えは「思い出す事より、毎日の生活全てが思い出になっていく」でした。映画の様な話ですがこれは事実です。それからゆっくり社会復帰し、今は元気に働いています。当時夫の死も覚悟していた私は、記憶喪失ぐらい大した事に感じない程のメンタルの強さと同時に「死の訪れは年齢に関係ない、しっかり胸に刻んで生きよう」22歳でその事を知りました。

2つ目の出来事

2回目の出来事は26歳の時生んだ長女の出産です。出産してすぐ担当医が「話があるので旦那さんを呼んでください」と言われ通された個室で言われた事は「お子さんは超重度の心臓病を抱え命が危険な状態です」との言葉でした。夫の事故の時も辛かったですが我が子が目の前で死に直面する現実はどんな言葉を使っても言い表せないほどの地獄です。

たった1秒が1日に感じ、私だけ子供がそばに居ない病室で他の赤ちゃんを抱くお母さんがどれほど幸せに思えたか…「神様、私が何をしたんでしょう」「逆に、私が何をしなかったんでしょう…」神様にそう聞きました。その後の結果から言うと、娘は1歳半で心臓手術をし今は年に1度の定期検査。そして明るくチャーミングな女性に成長しています「。「ごく当たり前の事が最高の幸せなんだ」と26歳で知る事ができました。

3つ目の出来事

3回目の大きな出来事は43歳で突然襲ったパニック障害本当になんの前触れもなくある日突然テレビを見ていたら極度の不安に襲われ、それを機にどんどん不安が悪化していく日々。お気楽で人付き合いも多くメンタル不調など無縁だと思ってい自分が死も考えるほどに。

それからパニック障害を克服した人のブログや心理学を読み発症から7~8年で自力で完治する事が出来たのです。通院していればもっと早く治ったかもしれません。しかし、依存性のある向精神薬は嫌でしたし、最初の心療内科で心を折られたので通いませんでした。独学で心理学やメンタルを学び、徐々に考え方を変えたら「自分で治す事ができた!」。この経験と知識は最高の宝です

最終的には以前に増して更に行動的になり、失敗やハプニングさえも「まぁ、いっか、しょうがない。どうにかなるさ」と思えるまでに。あんなに心配や不安を抱えていた自分はどこへ?と思うぐらいです。「これからの人生は誰よりも笑い、誰よりも楽しむ!」そして誰かのために。そう心に決めた43歳。

プラスアルファー

既に亡くなりましたが、私には大好きなおばあちゃんがいました。とても明るくユーモアがあり、戦争経験から心が強く忍耐強い、大きな声でいつも笑って、何をするにも豪快な人。甘やかしてくれたり時に雷が落ちたり、おばあちゃんが私達3姉弟を可愛がってくれる事を心から感じていました。

毎週末になると「お母さん!おばあちゃんち泊まりに行っていい?だからバス代ちょうだい」と、妹と2人でひとり暮らしをしているおばあちゃんの家に泊まりに行ったものです。両親がいない口うるさく言われない空間、おばあちゃんが作る素朴な手料理、毎回帰宅する時は「帰りたくない!ずっとおばあちゃんと居たい!」駄々をこねたり。

そんなおばあちゃんですが、私が18歳の時自分の戸籍を取りに行ったところ、なんと母と祖母の戸籍関係が「養女」と書いてあったのです!母は赤ちゃんの時おばあちゃん夫婦に貰われ養女になったと。母はそれを知らず成人後初めて知った事、母の弟だけはおばあちゃん夫婦の実子だった事、母の本当の両親が分からない事、悲しみや絶望など色んな事を聞かせてくれました。

と同時に「私とおばあちゃんの血は繋がってなかったんだ…」「他人だったんだ…」私はそこにショックを受け、止めどなく涙が溢れる。そんな事ってある?大好きな人が、家族だと思ってた人が他人なんて信じたくない!

ある時、こう思ったんです「ちょっとまって、血が繋がらない私達にこんなに愛情をくれるって、むしろ私達は幸せなんじゃないか」「しかもおばあちゃんには本当の子供(実子)がいて、その子供(本当の孫)までいるのに、その孫より愛情を注いでくれてた」そう気付き、その愛の深さにどれだけ涙が出たことか。

私の幸せの原点は「血の繋がりなど関係ない」「愛はどんな人にも与え貰えるもの」これは大好きなおばあちゃんが身をもって教えてくれました!

さいごに

思えば私たち家族は、病院関係者、両親妹弟、友達、会社やその他大勢のありとあらゆる人達に助けられ今があります。それと同時に、とても多くの「無償の愛」も与えて貰いました。その経験が、昔も今も、この先ずっと永遠に私の心を温かくしてくれます。

「今度は私が一人でも多くの人にそ恩返しをしよう!」その想いが今の私の原動力です。

過去は変えられませんが、考え方や1歩踏み出すことで未来は良い方へと進みます。それを身をもって体験したからこそ、皆さんの人生の後押しができたら、こんな嬉しいことはありません。

当時はなぜ我が家だけこんな不幸が次々訪れるんだろうと思いましたが、その経験こそ心にどれだけ幸せの種を撒いてくれたか分かりません。お金も大切だけどお金よりもっと大事な事を学べたので、今どんな些細なことであろうと常に幸せです。

「無い物探し」をするのではなく、自分が感じるたくさんの「有る、感じる探し」をして下さい。成功=幸せではないと思っています。幸せはいつだってどんな時だって、目に見えない物の中にも多くあります。私は1人で喜ぶより多くの人と分かち合う方が好きなので、これからもずっと心を優先して生きて行く。死ぬ時は「最高の人生だった」そう言えるように。


ちなみに、下町育ちの自営業の両親のもと7人家族で育ったので、講座は明るく楽しく笑いが起こる時間をモットーにしています。パソコン苦手や自信がなくても全く気にせずご安心ください!

屋号は「Happy project」と命名。
理由は私と関わる皆さんの人生がわくわくハッピーになるように!

自分だけでなく、関わる全ての皆さんと一緒に分かち合いたい。

” 皆さんとお会いできる事を
心から楽しみにしております(^^)/ "


なお売上の一部は、下記「こどものホスピスプロジェクト」へ寄付しています。
~ささやかな愛のお裾分けです~


公益社団法人 こどものホスピスプロジェクト
生命を脅かす病気の子どもとその家族に寄り添う“やさしい社会”をつくりたい。その活動の場となるTSURUMIこどもホスピスは、医療や福祉の制度から独立した、日本ではじめてのコミュニティ型こどもホスピスです。

 

オギャーから現在までの私


<1967年>東京都墨田区でぽっちゃりした長女として生まれる

<幼児期~小学生>肥満児なのに肉が大嫌い(マンガと違う)給食が苦痛で仕方なかった子供時代を過ごしました

<中高生>体重70Kg台に足を踏み入れるも体育が得意でユーモアを武器に過ごした青春時代

<社会人>事務職で入社し、太っていたので制服がきつく息を止め着ていたら1年後に体重減のOL時代

<1988年>オーストラリアへワーキングホリデー

<1989年>結婚と出産。夫が事故で意識不明・記憶喪失になりその2週間後長男出産(壮絶な日々でした)

<1990年>関口宏のクイズ100人に聞きました!家族で出場

<1993年>長女出産(超重度の心臓病)幼児期に心臓手術し今は社会人(自分の子供が死の淵にいた数年間ほど辛い事は無かったです)

<1995年>墨田区から越谷市へ引っ越し

<2001年>息子から「お母さんておデブちゃんだね」の何気ないカウンターパンチをくらいダイエットを決意。働きながら運動と食事で18Kgの減量に成功しました

<2010年>パニック障害発症(辛く長いトンネルの始まり)

<2011年>幸せのお裾分けとして、越谷市へランドセル5個寄付

<2017年>パニック障害を自力完治。人の心や痛みに寄り添い元気を与える事が得意です

<2019年>残りの人生やりたい事をより多く叶えるため「自分の好きと得意で起業」

<2020年>本田晃一マイグレートメンター認定講師1期生

<2021年>関わる全ての人がhappyになるようにと思いを込め、屋号「Happy project」として起業

<2022年~未来>私と関わる人をハッピーに、そしてあらゆる人と場所にその種が広がる様な行動を起こしたいと思います(売上の一部は難病児童や養護施設へ寄付しています)

 

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・日本商工会議所珠算検定1級
・文部科学省認定ペン字1級
・日本商工会議所簿記検定3級
・生前整理アドバイザー1級
本田晃一 マイグレートメンター認定講師第1期生

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