プロフィール

ライフストーリーデザイナー
―田中まど香―

はじめまして、ホームページをご覧頂き頂きありがとうございます!中高年の起業とホームページ作成に特化したサポートをしております、田中まど香です。

昔から調べる事が大好きで、パソコンの便利さと好きなことで、こうしてホームページ作成のお仕事ができる事はとても幸せなことです。この世に1つでも多くのホームページや中高年の起業家が誕生する事を心から願っております


ここで質問です、皆さんはご自身の性格をきちんと把握していますか?私の場合「やりたい!」と思ったらあれこれ考えずすぐ行動する性格です。怖いとか不安や失敗など考えず「やりたい、やってみよう!」と動いてしまいます。失敗はむしろ、いい経験と知識が増えたとプラスに捉える単純な性格。が、起業してからそれが裏目に出た事もありました。

そこで私の経験談をひとつ・・・


感覚重視の自分の性格に反し「お金優先>自分のやりたい事」で起業した過去がありました。選んだ職種は特段好きだった訳でなく「稼げそう、知識がなくても私にできそう」そんな事で決めました。

そもそも熱い思いも好きな事でもなく始めたので、SNSも苦痛で気持ちが入らない、お金を頂いても自信がなく。高額なビジネスコンサルタントを申し込み、それも大した結果が出ずとても高い勉強代になった過去があります。

それで、ようやく気付いたんです。こんな気持ちの仕事は続かない、なんのワクワクも面白さもなく、起業した意味も未来も見えない。私の本来の性格は「自分のやりたいこと>お金優先」これこそ自分が喜ぶ仕事のやり方だと。そう決めてからそれまでのビジネスをきっぱり捨て、方向転換したの事が人生の分岐点となりました。

自分の「好きや得意を仕事にする」これは長く続ける上で本当に重要で、同時に自分の心が疲弊せず楽しい。不思議と、自然に後からお金がついてくる事ってこう言う事なのね、と実感した瞬間でした。

ちなみに、私の好きや得意な「パソコン作業、人を助ける、心を支える、背中を押す、人と出会う、超ポジティブ思考」です。それを生かしたの結果が今の仕事になっています!

仕事や時間振り回されがむしゃらにお金ばかり追う人生ではなく、自分の持ってるスキルをお互い提供したり、誰かを紹介してご縁を繋いだり、そこから「ありがとう」のお金が巡ってくる。これが私の幸せな仕事の形です!

3つの大きな苦難と愛

ここからは、なぜ私が」「人助け」「損得関係なく」「悔いのない人生」そんな事を人より強く思うのか…そのお話をしましょう。それは今までの人生で経た「3つの大きな苦難」+「愛情」が関係しています。

山頂で背を向け景色を見ている女性

1つ目-事故と記憶喪失-

一番最初に襲った不幸は、主人の事故と出産が重なった出来事です。それまで元気だった主人が交通事故で意識不明に。助かっても植物状態の可能性が大きいと言われ、変わり果てた主人の姿を集中治療室で見た時は号泣し、臨月だった私を病院のスタッフ方が気遣い心配してくれた事は今も忘れません。

夫がそんな状況の中ほぼ予定日に長男が生まれ、糸が張り詰め苦しい時間だった我が家にとって息子は希望と幸せの誕生でした。その後主人の意識は戻ったものの自分が何歳か分からない、ここがどこだかわからない、しかも結婚したことすら覚えてない・・・夫は記憶喪失で記憶の半分が失われていたのです。結婚式や思い出の写真やビデオを見せても全く思い出せず、そんな人がその後どうやって生活したと思いますか?

その答えは「思い出す事より、毎日の生活全てが思い出になっていく」でした。映画の様な話ですがこれは事実です。それからゆっくり社会復帰し、今は元気に働いています。当時夫の死も覚悟していた私は、記憶喪失ぐらい大した事に感じないと思える程のメンタルの強さと同時に「死は順序なく突然やってくる。今を大切に生きよう」そう思った22歳。

祈っている女性

2つ目―超重度の心臓病-

2回目の出来事は26歳の時生んだ長女の出産です。出産してすぐ担当医が「話があるので旦那さんを呼んでください」と言われ通された個室で言われた事は「お子さんは超重度の心臓病を抱え命が危険な状態です」との言葉でした。夫の事故の時も辛かったですが我が子が目の前で死に直面する現実はどんな言葉を使っても言い表せないほどの地獄です。

たった1秒が1日に感じ、私だけ子供がそばに居ない病室で他の赤ちゃんを抱くお母さんがどれほど幸せに思えたか…「神様、私が何をしたんでしょう」「逆に、私が何をしなかったんでしょう…」神様にそう聞きました。その後の結果から言うと、娘は1歳半で心臓手術をし今は年に1度の定期検査。そして明るくチャーミングな女性に成長しています。「ごく当たり前の普通なことこそ、最高の幸せなんだ」それを痛感した26歳です。

歩く女性の後ろ姿

3つ目-パニック障害-

3回目の大きな出来事は43歳で突然襲ったパニック障害。本当になんの前触れもなくある日突然テレビを見ていたら極度の不安に襲われ、それを機にどんどん不安が悪化していく日々。お気楽で人付き合いも多くメンタル不調など無縁だと思ってい自分が死も考えるほどに。

それからパニック障害を克服した人のブログや心理学や哲学書を読み、発症から7~8年で自力で完治する事が出来たのです。通院していればもっと早く治ったかもしれません。しかし、依存性のある向精神薬は嫌でしたし、心療内科カウンセリングで心を折られたので通いませんでした。独学で心理学やメンタルを学び、徐々に考え方を変えたら「自分で治す事ができた!」この経験と知識は私の宝です。

最終的に以前に増して更に行動的になり、失敗やハプニングさえも「まぁ、いっか、しょうがない。どうにかなるさ」と思えるまでに。あんなに心配や不安を抱えていた自分はどこへ?と思うぐらいです。「これからの人生は誰よりも笑い、誰よりも楽しむ!」そして誰かのために。そう心に決めた43歳です。

本当の愛-血の繋がりなど関係ない-

既に亡くなりましたが、私には大好きな祖母がいました。とても明るくユーモアがあり、戦争経験から心が強く忍耐強い、大きな声でいつも笑って、何をするにも豪快な人。甘やかしてくれたり時に雷が落ちたり、祖母が私達3姉弟を可愛がってくれる事を心から感じていました。

毎週末になると「お母さん!おばあちゃんち泊まりに行っていい?だからバス代ちょうだい」と、妹と2人でひとり暮らしをしている祖母の家に泊まりに行ったものです。両親がいない口うるさく言われない空間、祖母が作る素朴な手料理、毎回帰宅する時は「帰りたくない!ずっとおばあちゃんと居たい!」駄々をこねたり。

そんな祖母ですが、私が18歳のとき自分の戸籍を取りに行ったところ、なんと母と祖母の戸籍関係が「養女」と書いてあるではありませんか!母は赤ちゃんのとき祖父母に貰われ養女になったと。母はそれを知らず成人後初めて知った事、母の弟だけが祖父母の実子だった事、母の本当の両親の行方は分からない事、悲しみや絶望で自分を見失ったこと。母は色んな事を聞かせてくれました。

と同時に「私と祖母の血は繋がってなかったんだ…」「他人だったんだ…」私は大きなショックを受け、止めどなく涙が溢れました。そんな事ってある?大好きな人が、家族だと思ってた人が他人なんて信じたくない、なんで赤ちゃんだった母を貰ったの。そんな負の感情ばかり。

ずっとショックで受け入れられずにいたら、ある日ふとこう思ったんです「ちょっとまって、血が繋がらない私達にこんなに愛情をくれるって、むしろ私達は幸せなんじゃないか」しかも祖母には本当の子供(実子)がいて、その実子の子供(本当の孫)までいるのに、その孫より愛情を注いでくれてたと気づきました。そう思ったら幸せの涙があふれ「愛こう言うことなんだ」ことか。

私の幸せの原点は「血の繋がりなど関係ない」「愛はどんな人にも与え、貰えるもの」これは大好きな祖母が身をもって教えてくれました。だから私は家族や他人関係なく「どんな人にも変わらぬ愛情で接する」そんな種が心にしっかり植えられていますます。

さいごに

思えば私たち家族は、病院関係者、両親妹弟、友達、会社やその他大勢のありとあらゆる人達に助けられ今があります。それと同時に、とても多くの「無償の愛」も与えて貰いました。その経験が、昔も今も、この先ずっと永遠に私の心を温かくしてくれます。

「今度は私が、ありったけの恩や愛情を出会う人たちに注ぎたい」その想いが私の心の原動力です。

過去は変えられませんが、考え方や1歩踏み出すことで未来は良い方へと進みます。過去の色んな人生経験をしたからこそ、皆さんの人生の後押しができたらこんな嬉しいことはありません!

「無い物探し」をするのではなく、自分が持つたくさんの「強み、人生経験、あなたらしさ」を探して下さい。成功=幸せではありません。幸せはいつだってどんな時だって、目に見えない物の中にも多くあります。死ぬ時は「最高の人生だった」そう言えるようになりたいですね。

ちなみに、下町育ちの自営業の両親のもと7人家族で育ったので、講座は明るく楽しく笑いが起こる時間をモットーにしています。パソコン苦手や自信がなくても全く気にせずご安心ください!

屋号は「Happy project」と命名。
私と関わる皆さんの人生がわくわくハッピーになるように!

自分だけでなく、関わる全ての皆さんと一緒に分かち合いたい。

” 皆さんとお会いできる事を
心から楽しみにしております(^^)/ “

クスっと笑えるプロフィール年表

<1967年>東京都墨田区でぽっちゃりした長女として生まれる
<小学生>肥満児なのに肉が大嫌い(マンガと違う)給食が苦痛で仕方なかった子供時代を過ごしました
<中高生>体重70Kgオーバー。体育は得意でユーモアを武器に過ごした青春時代
<社会人>営業事務。肥満で制服が死ぬほど窮屈。恥じらいで交換を言えず。お腹をひっこめ着用してたら1年後10Kg減のOL時代
<1988年>オーストラリアへワーキングホリデー
<1989年>結婚と出産。夫が事故で意識不明・記憶喪失。その2週間後長男出産
<1990年>関口宏のクイズ100人に聞きました出場
<1993年>長女出産(超重度の心臓病)幼児期に心臓手術
<1995年>墨田区から越谷市へ引っ越し
<2001年>息子から「お母さんておデブちゃんだよね」の何気ないカウンターパンチをくらいダイエットを決意。運動と食事で18Kg減量成功
<2010年>パニック障害発症
<2011年>「越谷の肝っ玉母さん京塚昌子」としてランドセル5個寄付
<2017年>7年かけ、パニック障害を自力で完治
<2019年>夢だった起業「自分の好きと得意」で基礎のビジネス開始
<2020年>本田晃一さんのマイグレートメンター認定講師1期生となる
<2021年>関わる全ての人がhappyに。と思いを込めた屋号「Happy project」
<2024年>本田晃一さんのマイグレートメンターHPサイトをサポート
<未来>中高年の「やりたい事を叶える」「自分の心に正直に生きる」それらの後押し。難病児童や養護施設へ今より多く寄付ができるように
資保有資格

・Webマスターコース
・Webスタンダードコース
・ペン字検定準1級
・日商珠算検定1級
・日商簿記検定2級

売上の一部は「こどものホスピスプロジェクト」へ寄付しています。
鶴見こどもホスピスバナー

公益社団法人
こどものホスピスプロジェクト
生命を脅かす病気の子どもとその家族に寄り添う“やさしい社会”をつくりたい。TSURUMIこどもホスピスは、医療や福祉の制度から独立した、日本ではじめてのコミュニティ型こどもホスピスです。